日本のカルチャーをつくった渡来人
前回渡来人ついて話しました現代で言うと移民となりますが、移民より渡来人という言葉の響きがいいと思うのは私だけでしょうか?
弥生時代になり大陸からやって来た渡来人の中でいちばん有名なのが秦氏(はたうじ)諸説ありますが、この秦氏謎多くご先祖様はユダヤ王朝から繋がるイスラエルの民はたまた秦の始皇帝の末裔となかなかなもの。
中国秦の苦役から逃げて朝鮮半島に移り辰韓(秦韓)という国を立ち上げましたが、新羅の台頭で滅亡しましたその時の王である弓月君(ゆづきのきみ)が多くの民を従えて日本に渡来して来ました、その弓月君の子孫が秦氏に繋がっていきます。
最初九州の北東部に移り住みそれから豊富な経済力と高度な技術そして知識を武器にして、東に進めて岡山、広島そして畿内に勢力を延ばし、時の権力の中枢に入っていきます、神奈川県の秦野市は関東に移り住んだ秦氏に由来しています。
さて渡来して来た秦氏が日本にもたらしたものは仏教を中心とする寺院建立・お寺参り・稲作はじめとする農耕技術・土木技術・養蚕・機織り(秦氏のはたから由来)そして都市計画(平安京造営)など多岐にわたっています。
秦氏で有名な秦河勝(はたのかわかつ)は聖徳太子に仕え古代日本の国造りに多大な貢献し、また猿楽・能楽の始祖とされ芸能の神とされていました、平安京の大内裏は秦河勝の跡地に造られています、建立した広隆寺、映画村のある太秦(ウズマサ)はヘブライ語で【処刑された救い主】と言う言葉を意味すると言われます、どうやら秦氏はイエス・キリストを信仰し日本に土着してもらいたいと願っていたと思われます。
当然のことたくさんの末裔がいますが全部は大変なので平民では芸能の神から雅楽の東儀家、武士なら平安時代に姓を秦氏から惟宗氏(これむねうじ)に変えてからの薩摩島津氏などがいます、これだけ日本の国作りに功績がありながら日本の歴史上では大きく取り上げてもらえてないのは残念でたまりません渡来人だからでしょうか。
弥生時代の終わりから数世紀にかけて多彩な人種が日本に渡来して来ました、その数はゆうに100万人を超えると言われています、今と比べるとこの時代の方がインターナショナルな国家をなしていたんですね。
今の我々の生活はこの渡来人のおかげといっても過言ではありません、今回はこのへんであなたに楽しいひと時がありますように。